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五島・長崎 教会巡り(4)中通島 Part 1 [五島・長崎 教会巡り]

 中通島(なかどおりじま)は五島列島では福江島に次いで大きな島になります。リアス式の海岸線は入り組んで切り立った崖が続き、平地が少ない島という印象を受けました。その島内には29ものカトリック教会があると言われています。先日そのうちの9か所を見学して来ましたので、3回に分けていくつかを紹介したいと思います。

【冷水教会】
 冷水教会は中通島の北部にある奈摩湾を望む海岸線に建つ小さな木造の教会です。中通島出身である鉄川与助が初めて設計施工した教会として知られています。与助は代々宮大工の棟梁であった家系に生まれ、1906年(明治39年)に27歳で家業を継いで鉄川組を立ち上げました。翌1907年(明治40年)に棟梁として初めて設計施工を担当したのがこの冷水教会でした。単層構造の瓦葺き屋根で正面中央に八角の塔を有します。内部は三廊式になっており、天井はこの後に建設する教会でも数多く導入した4分割リブ・ヴォールト天井(こうもり天井)を取り入れています。

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【青砂ヶ浦天主堂】
 青砂ヶ浦天主堂は、前述の冷水教会とは奈摩湾を挟んで対岸に位置しています。鉄川与助の設計施工により、冷水教会の完成から3年後の1910年(明治43年)に建てられました。与助は冷水教会建設後にいくつかの教会を建設していますので、そこで得たノウハウを導入し、冷水教会とは異なる様式の洗練された教会を完成させました。構造は木造からレンガ造りに変化し、屋根は重層構造を取り入れています。内部は三廊式の4分割リブ・ヴォールト天井を踏襲していますが、より豪華で手の込んだ内装に仕上げています。室内の彫刻は宮大工であった父・与四郎が手伝ったと言われています。残念ながら内部は撮影禁止のため写真はありませんが、今回見学した多くの教会の中でも最も美しい内装でした。我が国のレンガ造りキリスト教建築の起点となった建造物として、国から重要文化財の指定を受けています。

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【丸尾教会】
 丸尾教会は鉄川与助の生誕地である中通島・丸尾郷に建つ白亜の教会堂です。1972年(昭和47年)に完成した現在の建物は鉄川与助が93歳の時に手掛けた生涯最後の教会でした(正確には与助が営んでいた鉄川工務店の設計施工)。鉄筋コンクリート造り、単層構造屋根、内部は平床平天井と、与助が多く手掛けたゴシック様式とは異なりますが、八角の塔と尖頭アーチを模した窓は往年の与助スタイルを彷彿とさせます。正面入口の幾重にも重なるように突き出た尖頭アーチ形の美しい庇がこの建物の特徴となっています。鉄川与助の墓はこの近くにあり、晩年を過ごした横浜から故郷に帰って安らかな眠りに就いているということです。最後に手掛けた作品が生まれ故郷の教会であったというのは何かの因縁でしょうか。

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雨の鎌倉 [その他]

 海外の友人家族が観光で日本へやって来ました。鎌倉へ行きたいとのことなので一緒に鎌倉へ行くことにしました。ところがこの日はあいにくの雨で今シーズン一番の冷え込みでした。寒さに慣れていない友人家族には気の毒でしたが、雨の鎌倉も風情があって良いでしょう。みんなで雨の鎌倉散策と相成りました。

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DSC-RX0で撮影

 定番の高徳院の大仏と鶴岡八幡宮を見てもらって、他に行きたいところはないかと尋ねると、竹林があるお寺に行きたいとのリクエスト。それならば竹の寺として有名な報国寺に行きましょう。鶴岡八幡宮からは20分ほどかかりますが、鎌倉の街並みを見ながら歩いてもらうことにしました。

 報国寺は1334年に足利尊氏の祖父・家時や上杉重兼らによって建立された禅寺だそうです。庭が入念に手入れされていて、植木や枯山水がとてもきれいです。本堂の裏手の竹林が有名で、拝観料200円を払うと竹林の中を歩いて回ることができます。海外でもBamboo Templeとして人気があるらしく、参拝客のほとんどは海外からの人でした。友人家族も思い思いに写真を撮り歩いて満足した様子でした。

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DSC-RX0で撮影

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DSC-RX0で撮影

 この日は雨の中を歩き回ることが予想されたので、撮影機材は最小限にしました。α99と35mmF1.4Gをメインに、交換レンズは70-300mmF4.5-5.6Gのみ。広角側はコンデジのRX-0で代用しました。RX-0は1インチのイメージセンサと24mmF4.0に固定のレンズなので、暗い所はあまり得意ではありませんが、手振れさえしなければそこそこの写真が撮れます。特に天候は雨でしたので10m防水が威力を発揮し、気兼ねなく竹林の中に突っ込んで撮影したり、地面に置いて撮影したりできました。

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五島・長崎 教会巡り(3)福江島 Part 2 [五島・長崎 教会巡り]

【堂崎教会】
 1873年(明治6年)にキリスト教の禁教が解かれた後に、フランス人宣教師のフレノー神父が大浦天主堂からこの地に着任します。そしてマルマン神父、ペルー神父と受け継がれながら、ここ奥浦地区が五島キリシタン復活の中心地となって行きます。現在の天主堂が完成したのは1908年(明治41年)で、設計はペルー神父、施工は野原与吉によるものです。ペルー神父と野原棟梁から教会建設のノウハウを教えられることになる鉄川与助も副棟梁としてこの教会の施工に加わっています。建物はレンガ造りのゴシック様式で、レンガはアメリカ積み(長手積みを数段重ねて小口積みを1段挟む積み方)を採用しています。屋根は重層構造の瓦葺きです。内部は三廊式で、リブ・ヴォールト天井になっています。現在はミサなどは行われておらず、キリシタン資料館として迫害から復活までの歴史が展示されています。隠れキリシタンの人々が実際に所持していた物品などの貴重な資料は一見の価値ありです。

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【井持浦教会】
 井持浦教会がある玉之浦地区は福江島の中心部から遠く離れているため迫害を逃れることができました。この地のキリシタンたちが五島藩の財政を潤す塩の生産を行っていたこともその一因と考えられています。1895年(明治28年)に前述のペルー神父によりレンガ造りのロマネスク様式の教会が作られました。ロマネスク様式とはゴシック様式よりも古い様式で、壁が厚く、円形アーチの小さな窓になっているのが特徴です。建物の重量を壁で支える構造になっているためです。その建物は1987年の台風で倒壊してしまいました。そこで翌1988年(昭和63年)にコンクリート造りの教会に建て替えられました。従って、他の教会と比べると、とても新しい建物です。外壁はタイル張り。内部は平床、平天井になっています。この教会は1899年(明治32年)にペルー神父によって作られた日本最古のルルドがあることで有名です。

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井持浦教会に作られた日本最古のルルド

【福江教会】
 福江の市街地の真ん中に建てられた初代の福江教会は、ペルー神父の「五島の中心地に教会を建てたい」という願いにより1914年(大正3年)に18年の歳月を経て完成しました。今の建物は1962年(昭和37年)に建て替えられたコンクリート造りの教会です。内部は平床、平天井になっています。完成して5か月後の1962年9月26日、この地域は町中を焼き尽くす「福江大火」に見舞われました。しかし、福江教会は3方を炎に包まれながら類焼を免れたため、奇跡と称えられています。

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トヨタ ヴィッツ [その他]

 このところ教会の紹介記事が続きましたのでちょっと小休止。今日は旅行中に借りた国産小型車の話題を書いてみようと思います。旅行中に借りたレンタカーはダイハツのムーブ、トヨタのヴィッツ、ホンダのフィットの3種類でした。その中から今日は主にヴィッツについてのインプレッションを述べることにします。

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 トヨタのヴィッツは1999年に排気量1000㏄のリッタカーとしてデビューしました。日本、欧州、米国をはじめ多くの国々で販売される世界戦略車に位置づけられています。海外での販売名はヤリス(YARIS)で、このクルマをベースに開発された競技専用車は2018年の世界ラリー選手権(WRC)でマニュファクチャラーズタイトルを獲得しています。
 今回借りた車両は2017年の1300㏄モデルでした。走りに関しては予想に反して非常に好印象を持ちました。ステアリングのフィーリングはトヨタのクルマらしく切る時は操舵がとても軽く、戻す時は中点復帰力がやや強めなので、戻し角を意識せずに楽に運転ができます。走り出しはトルクフルで非力さを感じることはありません。しかしさすがに1300㏄なので、スロットルペダルを踏んで行くとパワー不足は否めません。普通に平地を走る分には良いですが、上り坂ではもう少しパワーが欲しくなります。特筆すべきは良く動くサスペンションです。路面のギャップの乗り越え時に嫌な突き上げもなく、乗り心地はとても良いと感じました。少し飛ばして走っても安定感は上々で、タイヤが鳴くくらいのスピードでコーナーを曲がっても、ロールはそれほど大きくならず、接地感を失わずに良く粘ってくれました。軽自動車と比較するのは不公平ですが、どこかへ飛んで行きそうになる前日まで借りていたムーブとは雲泥の差でした。ブレーキも全然効かないムーブとは違い、必要にして充分な効きでした。

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 問題はエンジンのフィーリングです。ガサゴソと雑に回るエンジンで、音もうるさく、回しても全然気持ち良くありません。せっかく足回りは良くできているのに、エンジンのおかげでFun to driveがややスポイルされているような気がします。エンジンのスムーズさではこの後に借りることになる10年落ちのフィットの方が良かったです。
 もう一つの問題点はドライビングポジションです。着座位置は高めで、ペダルとの位置関係からかなり直立した姿勢になります。このクルマの性格上それは理解できるのですが、問題はポジション調整です。座面の高さとステアリングの高さは調整できますが、テレスコピック式ではないため、ステアリングコラムは前後に動きません。一方でシートの前後スライドとリクライニングの調整間隔が粗くて、残念ながらしっくり来るドライビングポジションを見つけることができませんでした。手足の長さは人によって千差万別なので、座面からペダルまでの距離と、シートバックからステアリングホイールまでの距離は独立して細かく調整できる必要があると感じました。また、シートが柔らかすぎて私の好みではありませんでした。これらの影響かどうかはわかりませんが、3日間このクルマに乗った後に腰痛になってしまいました。
 更に難点を挙げるとすると、純正カーナビゲーションシステムの使いにくさでしょう。大抵のカーナビは取扱説明書がなくても操作ができますし、そうあるべきだと思うのですが、この純正カーナビはどうやったらしたいことができるのか皆目見当が付かないことがありイライラしました。
 ネガティブな点はいくつかありますが、今回ヴィッツに乗ってみて、総合的には良いクルマだと感じました。同じプラットフォームを使用するアクアが何年も販売ランキング上位に居続ける理由がわかったような気がします。この後に借りたホンダのフィットも悪くなかったので、十数年前と比べると国産小型車のレベルがかなり上がったなという印象です。ボディ剛性、ステアリングフィール、サスペンション、ブレーキなどが以前より格段に良くなっていて、A地点からB地点に移動する手段としては充分な性能に達しています。そればかりか、ワインディングロードでも意外に楽しく走ることができました。世界戦略車、共通プラットフォームなど、クルマの製造販売の手法が変化したことによって欧州車と競い合わざるを得ない環境となり、国産小型車の基本性能がワンランク上がったことを実感しました。

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こちらはライバルのホンダ・フィット

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10年落ちだがエンジンはヴィッツよりもきれいに回る

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五島・長崎 教会巡り(2)福江島 Part 1 [五島・長崎 教会巡り]

 福江島は五島列島の中で最も大きな島で、福岡や長崎からの空の玄関口となっています。この島にある14のカトリック教会のうちの9か所を見学して来ました。今回はその中から楠原天主堂、水ノ浦天主堂、貝津教会の3つを紹介したいと思います。

【楠原天主堂】
 1797年に長崎本土の外海地区から移ってきた潜伏キリシタン第一陣がこの楠原地区に住み着きました。その人々は仏教徒を装いながら密かにキリスト教信仰を守り抜きました。1865年、長崎に住むフランス人のために大浦天主堂が建てられたことをきっかけに、各地の潜伏キリシタンたちが大浦天主堂にやって来て、当時のベルナール・プティジャン神父に自分たちもキリスト教信者であることを打ち明けます。その中には五島の潜伏キリシタンも含まれていました。これに驚き喜んだプティジャン神父は禁教下の日本にキリスト教信者がいることをヨーロッパに伝え、大きなニュースになってしまいました。そのため幕府に潜伏キリシタンの存在が知れることとなり、五島をはじめとする各地の潜伏キリシタンたちへの卑劣な迫害・弾圧が始まりました。これが「五島崩れ」と呼ばれる出来事です。楠原の潜伏キリシタンも牢屋に入れられて拷問を受けるなど、過酷な迫害を受けました。1873年(明治6年)にようやく禁教令が解かれると楠原地区でも教会建設の機運が高まり、1912年(明治45年)に3年の歳月をかけた楠原天主堂が完成しました。レンガ造りのゴシック様式で、設計、施工は鉄川与助が行っています。福江島では堂崎天主堂に次ぐ古い教会で、与助の初期の作品群の一つです。内部は4分割リブ・ヴォールト天井(4本骨のこうもり傘を1列に並べたような蒲鉾型天井)、三廊式床(フロアが中心部の身廊とその両脇の側廊の3つに分かれた内部構造)、尖頭アーチ窓(上部が尖ったアーチ状の窓)となっており、鉄川与助作品の特徴が見られます。

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【水ノ浦天主堂】
 水ノ浦でも五島崩れの影響を受けて潜伏キリシタンに対する残酷な迫害が行われました。30人以上の信徒が投獄され、長い者では5年間も牢に入れられました。禁教が解かれて7年後の1880年(明治13年)にこの地に水ノ浦教会が建てられ、その後、老朽化のため1938年(昭和13年)に現在の天主堂に建て替えられました。設計、施工は鉄川与助で、木造建築としては最大級の教会になります。入り組んだ地形と美しい海を見下ろす白亜の鐘塔は、五島に最も似合う教会だと言えるでしょう。前述の楠原天主堂とは対照的に与助の最後年の作品になりますが、リブ・ヴォールト天井、三廊式床、尖頭アーチ窓を備えたゴシック様式をベースに、より洗練された美しいデザインとなっています。

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【貝津教会】
 貝津でもキリシタンたちへの迫害、弾圧は例外ではありませんでした。禁教が解かれた後もこの地では「隠れ衆」として密かに信仰を続けていました。隠れ衆の40戸の人々は1921年(大正10年)にこの貝津教会を建立し、隠れることなく信仰を続けることにしました。1931年(昭和6年)には一部改造、1962年(昭和37年)には大規模な増改築が行われ、その時に尖塔が増築されました。内部は平天井に方形窓の三廊式床となっており素朴な雰囲気を醸しています。西日に照らされたステンドグラスが美しい教会です。

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教会の正面には森と小川があり、この森の中に隠れ衆の8人が守り神を祀った石造りの祠があるという


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平天井および三廊式床と美しいステンドグラス


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